ウッドストックがやってくる
プロット
アメリカ
01月15日 2011 上映
やがて来たる者へ
プロット
イタリア
10月22日 2011 上映
やがて…春
プロット
日本
05月10日 1986 上映
遠くへ,もっと遠くへ
プロット
日本
08月13日 2022 上映
春の嵐がやってくるまで
プロット
日本
01月19日 上映
Ocean Men オーシャンメン 海へ、もっと深く
プロット
ドイツ
07月20日 2002 上映
本站關於電影海報,預告,影評,新聞,評論的綜合性電影網站,我們提供最新最好的的電影以及在線影評,業務合作亦或意見建議請電郵我們。(Copyright © 2017 - 2020 KKTM)。聯絡我們
やがて海へと届く評論(16)
春な光、春な空気、春な風、春な風景、映画の要所要所に散りばめられている感じで、気づくとそこにふと入り込んでしまう感じがいい。
そして、もちろん、ただ季節的な意味だけではく、誰かに会ったり、誰かと別れたり、誰かを失ったり、何かを取り戻したり。
こんな季節だから、また観たくなってしまう。
浜辺美波の周りには、既にあの世に行っているかのような、怖さにも近い透明感が常に漂う。
帰り道にふと、学生時代のサークルの仲間に会いたくなった。
真奈にとってすみれは、(物理的にも)絶対に帰ってこない存在となり、彼女はその事実と向き合った。
初めはその事に感動していたけれど、自分にも(物理的には会えるけど)もう会わなくなってしまった、会うことをやめてしまった恋人や友達がたくさんいる事に気が付いた。
それは悲しい事なのかもしれないけれど、彼ら彼女らがいて、今の私がいる。
真奈のように、大きな暴力に友人を奪われた訳ではないけれど、社会人になって一人でやっているつもりだった自分も、これまで過ごして来た人との時間や、これから
過ごす人との時間という、大きな世界の中に包まれて生きているのだと思い直す。
だから、会ったところで今更何にもならないかもしれないけれど、あの頃の友達とまた時間を過ごしたいと強く思った。
30歳の今、とても大切な作品になりました。
良くも悪くも超大作らしい濃厚なストーリーが一番二番…と展開していく。
ライトな映画ファン層が初見すると少し重たいかも知れないが、この作品に引き込まれていく人も多そう。。。
(個人的には同監督の「走れ、絶望に追いつかれない速さで」の世界観を踏襲している作品と思いました。)
作品前半・周囲の大学生ノリの軽薄な気持ち悪さが分かりやすく伝わってきた分、そこからの主人公2人のパートと会話が時に文学的な堅苦しい気がして、少し鼻についてしまっていた。だけど、車の中ですみれの彼氏・遠野が主人公・真奈に「小谷の中で止まってるんじゃないか」という旨のセリフを言って、真奈が車を降りて歩いているときの逆向き・対向車線から車が二台走り去る象徴的なシーンから、自分の中で一気に惹き込まれた感じがあった。そこからの(流れ的には自然だけど)衝撃展開含む一連のシーンの流れで主人公の気持ちが痛いほど伝わってくるようだった。
まるで海の底みたいな安らぎで僕たちを包んでくれる作品だった --- 行方不明になった友人と探す(?)というような導入部から、本作もいい意味でのミスリード。周囲が亡くなったことにして忘れようとしても自分はいつ(ま)でも彼女がある日突然ふらっと帰ってきたときに揺るがず迎えられる存在でありたいという気持ち。手の届きそうで届かない距離とこみ上げてくる切なさやふとしたときにやってくる哀しみ。一貫した監督の題材。
一方で謎めいた親友役は浜辺美波。主戦場がインディー(あるいはメジャーのサブ)とメジャーの二人が同じ世界で生きて、時を過ごす。私達は人間の片面しか知らない。普通の子じゃなかった…?そして、ネタバラシパート(?)を見たときもう片方の面が見えてくる。例えば『ノマドランド』などのクロエ・ジャオ監督のようにフィクションの中にリアリティというよりリアル現実そのものなドキュメンタリー性を持ち込む語り口。10年以上が経つ中、震災という題材を扱う上での真摯さ。なるほどタイトルの意味にも自分なりに向き合い咀嚼する。深い深い、海よりもまだ深く。
作中、大学キャンパス内での回りトラックや互いの服を着るなど様々な部分で差異を伴う反復が見られるが、特に印象に残ったが作中前半と後半で同じ構図のショットを繰り返すことで終わりが近いことを示唆するようなときの真上からのドローン空撮からの水平線ショット。朝日・朝焼けというのが分かりやすくもいい例えだなと沁み入った。冒頭につながる、帰結していく。生命(せいめい)は廻り巡る。…夢を見てた。
あの日のカメラや窓枠、あなたとの思い出 --- 忘れるんじゃないよ。思いを馳せてはいつか笑顔で見送れるように。"大切な人を失った哀しみからそれでも私/僕たち = 残された人々は前を向いて生きていく"みたいな、傷ついた人達がまた一歩踏み出すまでの再生を描いたドラマは多く、例えば『ドライブ・マイ・カー』なんかもそうだと思う。だけど本作はそうした普遍的題材に時代性も含め新鮮な視点を持ち込んでくれたのではと思った。
劇中、アニメの部分があるけど、実写においても写真・静止画のような画作りな気がした。人物を中心に据えたり、二人をバランスよく配置したり。
P.S. 生きてるとたまに思うのだけど、よくよく考えると"哀しむ(悼む)"って難しいよな。ずっと生きてると髪切りに行ったり、服買いに行ったり、はたまた自分の好きなことしたり、笑ったりしたりすることもあるわけで、それって正しく哀しんでないことになるのかな?四六時中考えてることだけが正解じゃないよな、きっと。むしろ去りし者からしても、大切な人がずっとそうやってるのを見るのは本意じゃないだろうし。…って生きてる人のエゴなんだろうか?なんて色々な考えが水玉・泡みたいに浮かんでは消え、また浮かぶように本作を見ていた。ちょっとしまうだけ、いつかまた取り出すために。あと、杉野遥亮はスーツのイメージ。