劇作家・平田オリザが2012年に発表した処女小説を、人気アイドルグループ「ももいろクローバーZ」の主演で映画化。北関東にある県立富士ケ丘高等学校。演劇部所属の高橋さおりは、まもなく演劇部最後の一年を迎えようとしていた。個性的な部員たちとともに、年に一度の大会で地区予選突破を目標に掲げたさおりだったが、東京の大学で演劇をやっていたという美人の新任教師・吉岡先生に後押しされ、全国大会を目指すことになる。「踊る大捜査線」シリーズの本広克行監督がメガホンをとり、演劇に打ち込む高校生たちの青春を描いた。吉岡先生役で「小さいおうち」の黒木華、演劇部顧問の溝口先生役でムロツヨシらが共演。脚本を「桐島、部活やめるってよ」の喜安浩平が手がけた。
幕が上がる評論(20)
天真爛漫でピュアで素直で、解放的。時に危うげ。無限の可能性。瑞々しさ全開。
なんというか、ももクロの魅力そのままの作品。抜群のチームワーク。
それぞれの魅力ある音色を黒木華や志賀廣太郎のベースが支え、奏でるというか。
ラストも好きな終わり方。曲が流れた時はゾワッときたわ。
評判はきいてたが、これほどまでとは。はじめてももクロを個人ごとに認識したけど、みんな立派な役者さんだね。黒木華とムロツヨシもさすが。ちょい役の贅沢な差し込み方も本広監督ならでは。
まるでももクロのドキュメンタリーを見ているようでした。進むにつれ生徒の(舞台ではなく映画の)演技力が上がっていくのがよく分かりました。
最後の舞台をしっかり見たいと最後の方まで思っていましたが、「幕が上がる」という文字が出てきた瞬間、彼女達が一生懸命練習した姿を思い出し結果がどうあれ皆が作り上げた舞台は最高のものなのだろうと思いました。
ただいい意味でも悪い意味でも「ももクロ」で、あくまでこの物語のなかの少女たちとして最後までやってほしかったなぁという気持ちもあります。
すっげえ良かった。
演劇を通して語られる青春。
儚く尊いものをフイルムに焼き付けた感がしてならない。
ももクロの5人がとにかく良くて、百田さんの感受性なのかセンスなのか…ずば抜けてる。
脚本も凄く好きだし、キャスティングもハマってた。
黒木さんの立ち位置が絶妙で恐れ入る。
だだ漏れになりそうな青春譚の外枠をガチッと止めてるようで、アレが彼女でなかったら俺はこんなにも泣きはしなかったろうと考える。
コントラストも距離感も見事だった。
そして、なぜだか本作の台詞は優しい。
時にか弱く、時に強く、時によろめき、時に立ち止まる。なんなのか良くは分からないのだけれど、とても優しくて愛に溢れてた。
公開当時、良いとの評判だった本作。
なかなかご縁がなかったのだけど、見れて良かった。
宇宙の果てには辿り着く事なんでできやしないけど、どこまでも行ける切符を僕たちは持ってる。
そしてここから、宇宙の果てを目指すんだ。
なんか色んなものにリンクする幕引きだった。百田さんのキャラにガッツリ感情移入してしまい、恥ずかしながら画面の前で涙が止まらなかった。
主演の5人の人間関係がセリフだけでなく、何気無い表情や目線、仕草なんかで実はかなり深い所まで表現されている事に驚いた。注意深く彼女たちの演技を追いかけるほど楽しめる、演出の行き届いた作品となっている。リピート鑑賞で新しい発見が出来る奥の深い素晴らしい青春映画が誕生したと思う。
映画デビュー作であるにも拘わらず、5人とも完璧にセリフを入れて現場で台本を開けることが無かったそうだが(監督談)、それが誰かに言われたり5人で示し合わせたりしたワケじゃなく、各々の映画にかける想いの発露の結果としてそうなっただけという事で、この5人のその想いが周りのスタッフや共演者を巻き込んだだろうことは想像に難くなく、この様ないい映画が生まれたことは必然だったのかもしれない。
【以降、軽いネタバレ有り】この物語の主人公である演劇部員の高橋さおり(百田夏菜子)の、冒頭のシーンの何か投げやりで絶えずイラついてる感じと、上級生が抜けて周りから押し付けれた部長を仕方なくやっている感に「こんな娘に、この先付き合うのか?ちょっとしんどいな」って言う印象で、物語は進んで行く。それが、新任の美術教師の吉岡(黒木華)に演劇の神様を見る瞬間のシーンから物語が動き出す。
黒木華の芝居の説得力に、そこでさおりが感じたであろう鳥肌が立つ様な感覚を共有出来たお蔭で、その後のさおりの感情が手に取るように心に入って来る。そうなってしまうと、何度泣いたか分からないくらい泣いている自分がいた。でも感情が高ぶった号泣ではなくて、気が付いたら涙が頬を伝っている感じだ。
現国の授業中に先生(故人 志賀廣太郎)によって語られる内容が、劇中劇の脚本に多大な影響を及ぼしていて、特に最後の授業で語られたことは、最終的にこの物語の落としどころとなっている。演劇を題材にしているだけに、銀河鉄道の夜をモチーフにした劇中劇の演劇的な言い回しがこの映画の深みを増す大きな要素となっている。