モダニズム建築の宝庫として知られるインディアナ州コロンバスを舞台に、対照的な2人の男女の恋愛模様を描いたドラマ。アルフレッド・ヒッチコックや小津安二郎についてのドキュメンタリーを手がけ、小津作品に欠かせない脚本家の野田高悟にちなんでコゴナダと名乗る映像作家による長編デビュー作。講演ツアー中に倒れた高名な建築学者の父を見舞うため、モダニズム建築の街として知られるコロンバスを訪れたジンだったが、父親との確執から建築に対しても複雑な思いを抱いており、コロンバスに留まることを嫌がっていた。地元の図書館で働くケイシーは薬物依存症である母親の看病のためコロンバスに留まり続けていた。ふとしたことから出会った対照的な2人は建築をめぐり、語り合う中で次第に運命が交錯していく。韓国系アメリカ人のジン役を「スター・トレック」「search サーチ」のジョン・チョウ、ケイシー役を「スプリット」のヘイリー・ルー・リチャードソンが演じる。
コロンバス評論(17)
モダニズム建築であれば、今作でも映像で映し出されるが、シンメトリーに重きを置くわけではなく、幾何学的な美しさであろう。
が、私の今作のイメージは”シンメトリックな構図の美しさ”である。(ウェス・アンダーソン監督程拘りのない程度の・・)-
ー以下、少しストーリーに触れて・・・・、いるのかな?-
・物語は、冒頭、韓国人の”nで終わる”ジンの父で、高名な建築学者がシンメトリックな建物の脇で倒れるところから、始まる。
その後、物語は実に淡々と進む。(近年、これだけ淡々とした洋画は記憶にない。)
母へのある思いを抱える、図書館員のケイシーとジンとが出会い、建築を媒介にして交わす会話。
ケイシーに思いを寄せるタバコが苦手な男性図書館員との会話。
そして、幾つかの恋・・。
ーその過程を経て、ケイシーは諦めかけていた”夢”に向かって、新たな一歩を踏み出す決意をする・・。ー
■だが、今作の魅力は、ストーリーを楽しむとともに、
・シンメトリックな映像の美しさや(一部、非シンメトリックなモダニズム建築含む)
・男女の絡みを鏡に映った姿で見せるとか・・、
・会話する二人のうち、一人だけ映すとか・・、
監督と撮影陣の遊び心を、見ている側も楽しむところにもあるのではないだろうか。
<資料には、今作の監督が小津監督に傾倒して・・、とあるので、今作製作の狙いは”そこ”なのだろう。
だが、私は今作の映像や雰囲気と、小津作品との親和性は余り感じなかった。
(小津監督の作品の美しさは、日本の木造建築や枯山水の庭や、坪庭に漂う侘び寂びの中にこそあると思っているので・・。)
けれども、小津監督の作品は、世界の多くの映画監督から愛されている訳で、コゴナダ監督の解釈も、充分有りなのかもしれないなあ・・、などと思いながら劇場を後にした。>
僕の行っていた大学には教養課程にもゼミがあって、僕が選んだゼミの担当の先生は、いわゆるバブルの頃に株取引で大儲けしたことのある人だった。
そのお金で、建築デザイナーを雇って、モダンな家を建てたけど、間も無くそれを売却して、普通の家を買い替えたと言っていた。
モダンな家は、住み心地が悪かったらしい。家には長年ヒトが培ったノウハウのような住み心地の設計があって、それこそが大切だとは、その先生の弁だ。
整然としたモダニズム建築の街は、美しいかもしれない。
しかし、人の営みはどうだろうか。
建物のために人が無理をしていないか。
常に、美しくあるために、それを裏で支える人がいて、その人は仕事に誇りを持ててるだろか。
格差が隠れていないか。
街の美しさだけが独り歩きしていないか。
僕達の周りには実は、そんな居心地の悪さが溢れている。
成績優秀だから進学しなさい。
何をしたいのか、少し考えたかったりもする。
ゲームばかりしてないで本を読みなさい。本を読めないのは集中力が足りないからだ。
興味のある無しはどうでも良い。
親は大切にしなさい。そんなこともできないのは人間としてどうかと思う。
親と確執のある人もいる。
多くの国が豊かになって、そこに暮らす人々は一見、大いに自由になった。
何をするにも選択肢は増えた。
でも、何をしたら良いか分からない。
周りの人はあれこれ言う。
だから、一歩踏み出してみたら良い。
敢えて孤独を選んでみるのも選択肢のひとつだ。
不自由さをひとつ捨ててみれば良い。
きっと別の景色が見えて、居心地の悪さが少し…、少しだけかもしれないが、改善するかもしれないのだ。
※ 僕はこの作品、結構好きです。ところで、韓国映画はパラサイトで盛り上がってるかもしれないが、会話が主体の作品にジョン・チョウのような俳優が出演出来るのも強みなんだと思う。
説明できないこと、自分では説明していると思っても聞き手からしたらなんの説明にもなっていないこと、そういうこともあっていいんだと思えた。
この街で偶然出会った男女。世代も生きてきた環境も違う二人が建築物を巡り建築を語った。人生を語った。心が繋がった。
モダニズム建築への愛情にあふれた類い稀な映像美。そしてそれに負けることのない温かな心の触れ合い。
美味しい空気を吸った。大好きな作品になった。