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愛人 ラマン評論(12)
この映画以降、他人と映画を見に行くということが少なくなった。
映画は一人で見るものになった。
ものすごくエロティックで、主人公の少女が愛らしい。
今はない映画館で見たように思う。
レビューだというのにこんな文章もないが、たったひとりで学校の制服をどこかに置いて大人の料金で見たのがこの映画だった。
ものすごくドキドキした。
アジアが舞台というのもエキゾチックでなんだかよかった。
少女が湯浴みをしているシーンも印象的な場面だ。
今は良い思い出として残っている。
1 砂漠の中で、水が湧き、樹木の生えている所。
2 疲れをいやし、心に安らぎを与えてくれる場所。憩いの場。「都会の―」
私にとっての心のオアシスは、何故かこの映画に登場する一室です。
マルグリット・デュラスのベストセラー自伝小説の映画化。
15歳のフランス人の少女と、かなり年上の華僑の男性との恋の物語です。仏領インドシナ(ベトナム)の人種差別と貧富の差を背景にし、二人の不安定で純粋な愛情が、官能的に描かれています。
男は少女を愛していると云い、少女は愛していないと云う。少女は貧しく、息苦しい家庭環境からの逃避と快楽とお金の為に、男との逢瀬を重ねます(と、割り切ります)。その二人が通う部屋は、ちょうど市場の中心部にある。
薄暗い部屋には、劣化したカーテンから差し込む微かな光だけ。既に枯れてしまった植木が二本と、柔らかく弛んだシーツがかかる大きなベッドのみ。アジア特有の湿度と熱気の籠もるその簡素な部屋に、外から埃っぽい土の匂いや喧噪が、時折入り込む。
疲れると私は、この部屋を思い出します。そして、想像の中でベッドに横たわって、目を閉じる。殆どは一人です。時に夫と、でも時には、昔とても愛した人と。でもそれは、罪なんでしょうか?思うことも、駄目でしょうか?
誰だって、心の中にオアシスがある。現実から逃避し、静かに眠りたい場所がある。
みなさんの心にも、そんなオアシスはありますか?
フランス植民地時代のインドシナの風景が、異国情緒いっぱいながらもとてもヨーロッパ的に撮影されていて、カフェオレ色のメコン川もなぜだかとても美しく見えます。
フィルムも純文学の香り漂う雰囲気です。
少女から大人になる微妙な時期に、一回り以上も年が上の華僑と肉体関係を持つことは、分別がつかないとしてもかなりぶっ飛んだお嬢さんだと思います。当時のフランスではまだ貞操観念があることが主流だったはずだし、ましてや侮蔑する対象の黄色人種。
支配階級である彼女達フランス人一家の振る舞い方が、人種に対する当時の考え方を如実に表しています。まあ、現代もまだまだ白人は優位ですが、一家の荒み方は酷いものでした。静かなアジアとは全く対象的です。
そしてなんと、二番目の兄は若き日のメルヴィル・プポー。
男が本気になり結婚まで意識されるほどの女に成長した主人公。彼女の「ラ・マン」は、最後に弱さを露呈しました。
果たして、彼女は彼を愛していたのでしょうか。それともセンチメンタルな気持ちを愛と取り違えただけだったのでしょうか。冒頭の告白を信用するならば、彼女は彼を愛した。そして、彼との限られた愛を文学という形にして、刻みこみたかったのではないでしょうか。それが、彼女の幻想だったとしても。
18歳でボロボロになった“私”。15歳半だった私は・・・という独白で始まるストーリー。中国では処女としか結婚できないから「あなたはわたしと結婚できません」などと言うのは男の身勝手?それでも生活のため、愛人のままでいいと考える少女。貧困がなす悲しい性なのであろうか。とにかく一番の衝撃シーンは、人が行き交う町の中、喧騒が聞こえてくるなかでの情事である。最初に観た地上波のテレビでは、リアルなセックスシーンはほとんどカットされていた。しかし字幕版で観ると、この少女のアフレコが全く合っていないことに興ざめする。
男物の帽子と三つ編みの髪。いいなぁ・・・