たった4日間の恋に永遠を見いだした中年の男女の愛を描いた、大人のラヴストーリー。原作は、世界中でベストセラーになったロバート・ジェームズ・ウォーラーの同名小説(邦訳・文藝春秋刊)。映画化の争奪戦が繰り広げられ、監督や主演者の候補にさまざまな名前が挙がった。一時はスティーヴン・スピルバーグが監督と報じられたが、結局、監督・製作・主演の3役を「パーフェクト・ワールド」「許されざる者(1992)」のクリント・イーストウッドが兼任して映画化(スピルバーグ主宰のアンブリン・エンターテインメントとイーストウッドのマルパソ・プロの共同製作)。相手役には「愛と精霊の家」「激流」のメリル・ストリープを迎え、二人の共演が見もの。脚本は「フィッシャー・キング」のリチャード・ラグラヴェネス。製作はイーストウッドと、「コンゴ」のキャスリーン・ケネディの共同。原作に忠実に、アメリカ・アイオワ州マディソン郡でロケーション敢行した美しい撮影のジャック・N・グリーン、音楽のレニー・ニーハウス、編集のジョエル・コックスは、「パーフェクト・ワールド」「許されざる者(1992)」などにも参加した、イーストウッド作品の常連。美術はジャニーヌ・クラウディア・オップウォール。共演は「マルコムX」のアニー・コーリー、「理由」のヴィクター・スレザック、「アルカトラズからの脱出」「スリープウォーカーズ」のジム・ヘイニーら。キネマ旬報外国映画ベストテン第3位。
マディソン郡の橋評論(20)
クリントイーストウッド、メリルストリープ主演。
「古き夜と遠い音楽に乾杯。」
「これは生涯に一度の確かな愛だ。」
いい言葉だ。こんな不倫ならしてみたいと思った。けど、配偶者がいて、まして子供もいるにも関わらず、40歳を過ぎてから本当の愛に目覚めてしまったとしたらきっと尋常じゃないくらい辛いんだろうな。失うもの多過ぎ。大雨の中でせっかく再会したのに、結局結ばれずに別れる2人のシーンは涙が止まらなかった。ドアに手を掛けて、そのままロバートのもとに行くことだって出来たのに。
それにしても、クリントイーストウッドはどうも苦手だ。俳優として苦手なのかな。ミリオンダラーベイビーとグラントリノのイメージが強過ぎて、気難しい役柄の印象が強い、というか、映画の世界観そのものは好きなのに、絶対にハッピーエンドにならないんだろうなって、なんとなくわかってしまう感じが苦手なのかもしれない。
メイキングでメリルストリープが言っていた、「観客は物語を感じたいのであって、説明されたくはない。感じ取り、解釈する。」という言葉に共感。
良い映画を観れた。久々に号泣しました。
そこへカメラマン(クリント・イーストウッド)が現れ、近くにある屋根付きの橋について聞かれる。
二人は恋に落ちるが、四日目には決断が迫られる。
メリル・ストリープの演技は素晴らしく、見ているだけで切ない。
現実的で全く美化されていない、リアルな純愛。
「こんな確信は生涯で一度きりだ。」
これに尽きる。人生は選択の積み重ねだが、確信というのは、積み重ねたもの、守るべきもの、正しいと感じるもの、選ぶべきものから得られるとは限らない。
その確信に出会えた事がまず奇跡で、たとえ家族を置いて着いて行く選択をしなかったとしても、人生でその確信の気持ちをお互いに大切にできたことが、素晴らしいと思う。心に嘘はつけないしつく必要ないと思うから。
深入りしてしまい迂闊だ無防備だという声もあるかもしれないが、遠いイタリアの故郷を離れて元アメリカ軍の夫と田舎に移り住み、何もかも近所にあけすけで助け合いながらも平凡を抜け出すわけにいかない毎日で、家を守り家族を育てる日常だったところに、外の空気を知り故郷も知る人が現れて困っていたら、助けてあげたいしもう少し話をしたい、そう思うのは人間として自然の流れだろう。
感情に素直なフランチェスカが、私は好き。
迷い込んだロバートが男性であるがゆえに、家族と違う男性と知り合って興味を持った後ろめたさがあるからこその、摘んでもらった花束に毒草よと言ったり、世間体よりも、もう少し話したいと感じた自らの気持ちを優先させて約束を実行したり。最終的に家族との日常生活を選んだ事も、フランチェスカは心に嘘はついていないと思う。
家族が嫌で苦しかったわけでも、ロバートに我を忘れて入れ込んだわけでもなく、とても自然で、だからこそ最後まで共感できるし、人の複雑で揺れ動く定められない感情の描き方がイーストウッド監督は本当にいつも上手で天才だと思う。
イーストウッドの演技も素晴らしくて、ロバートは何にも固執せず自由なようでも、最初は、フランチェスカに対して、退屈して窮屈なんでしょう?とさも聞いて言わせたそうなロバートで、フランチェスカとの関係性にフランチェスカ側の理由を持たせたい感じもしたが、最後にはフランチェスカについてくるかどうかの選択を強制せず、相手の事情を考慮して、出た答えを受け入れる覚悟でいるところも、単純に人妻に手を出す浅はかなアウトロー人とは感じさせず、深みのある良い人だと思わせる。
薄くなった毛を雨晒しにしてでもトラックの外で待っていた時、夫と乗り込むフランチェスカを見て、どんな気持ちになっただろう?
惨めな気持ちもしただろう。
それでもそれよりも大きく、一緒にフランチェスカを連れていかれるかとは関係なく、ただただフランチェスカとの確信を感じているのも演技から伝わってくる。
メリル・ストリープも、主婦としての、家族がいる幸せを感じながらも滲み出る平凡な生活感と、女性としての、中年でも無理せず自然に出る色気、行きずりではなくロバートを女性としても人間としても真剣に好きになったからこその怒りをロバートにぶつけるところなど、仕草をはっきりと演じ分けつつ、今までの人生から得た「立場」があるから迷ってるけれど迷いでさえも「どれも本当の気持ち」というのが伝わってくる。演技が本当に本当に上手で大好きな女優さん。
人の気持ちは移ろうもので出会った時の温度も永遠ではないし、誰かを好きだ嫌いだと割り切れるものでもないし、感謝すべき当たり前な日常に気持ちが入らない時があるのもごく自然な事で、誰かに好感を抱く時って、性別や年齢や配偶者がいるかや、そういった立場を凌駕して起こるものだと思う。そしてその好感が人間としてか友人としてか男女としてかも、境目はかなり曖昧だと思う。
でも、その自然な気持ちを、周りを傷つけないため、死ぬまで心の中にしまっておいたフランチェスカは充分に配慮があると思うし、死後、自らが経験した、立場によらず人を愛した感情を子供たちに伝え、幸せになることに全てを尽くしなさい、と言葉を遺すのはとても美しい。
驚きと少しの軽蔑とショックから入った子供達も、母親が実際に経験した境遇だからこそ受け止めることができ、自らの配偶者の置かれた境遇も思いやれるようになったり、家族との向き合い方を考え直したり、心に素直になれる様子も見ていて良かったし私も同じ気持ちになった。
それがたとえ世間から見て良いとは言い切れないものだったとしても、1人の人が生きた生涯の経験や気持ちはとても美しく引き込まれる「真実」で、同じ人間だからこそ誰かの人生を知ると響くものがある。
それは、誰かのため、や、正しいから、選んだものではなく、その人の気持ちが詰まっているからこそ。
人生って実は究極に自由で、行動には立場や制限があったとしても、心が想う愛する寄り添うのは無限で自由。
そして、たとえ一緒に過ごせなかったとしても、惜しまず想えばよいしそれは必ず伝わるし、もしも一緒に過ごせる立場や環境や関係性なら、惜しまず思い切り態度に出して想えば良い。それを教えてくれた作品。