デトロイト・ロック・シティ
プロット
アメリカ
10月14日 2000 上映
デトロイト・コップ・シティ
プロット
アメリカ
01月01日 1900 上映
デトロイト・メタル・シティ
プロット
日本
08月23日 2008 上映
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デトロイト評論(20)
黒人差別を扱った映画、そんな短絡的な言葉で論じるにはあまりに重い。なぜならこれは遠い昔の(といっても1960年代だから極めて最近の話ではあるけれど)話ではなく、2020年現在も続く、現代の黒人が直面している現実なのだから。
おもちゃの鉄砲で警官を威嚇したのも、元はと言えば、警察の差別的な行動に対する抗議によるもの。その軽薄な行動による代償は、日本人には到底想像できないものだろう。
警官による殺人で殺される黒人は年に千人にものぼると言われるアメリカ。黒人は走っただけで撃たれ、新札を使っただけで偽札を疑われ窒息させられる。殺人を行った警官は逮捕されても全員無罪。そういう現実に生きている。
毎日、銃により100人が死亡し、年間4万人が死んでも、簡単な銃規制すら出来ない後進国アメリカ。自分のことしか考えていない大統領が、自分のテレビ映りだけに腐心する。そんな大統領を熱狂的に支持する人が半数近くいることは笑い話にならない。
差別が悪いなんていうお行儀のいいことは誰でも知っている。知っていてもなお、被害者意識は政治的対立を生み、世界を分断させている。日本でも同様。問題が深刻なのは被害者と加害者がいることではない。被害者と被害者意識をもった加害者がいて、ともに被害を訴え正義が暴走することが問題なのだ。
この映画でも印象深い場面がある。暴徒化した黒人に対し、ある黒人は「暴力はいけない」と諭す。しかし黒人はこう返す。「我々は今まで非暴力的過ぎたのだ」と。被害者の訴えはいつだって切実だ。だからこそ、本当の被害者を見極める必要があるのではないか。
・日本の平和さを実感する
・ゴスペルを歌うことの想いが伝わる
・敵対するのではなく、同じ側に立ちたいよね
記憶に新しいロサンゼルス暴動にしても、最近のアメリカで相次ぐ暴動にしても、そして、この映画の1967年のデトロイト暴動にしても、まったく同じ構図です。
実際にあった事件をもとに再構成しましたというドラマなのですが、斬新でユニークな視点なり切り口なりが一つでもあれば、観に行って良かったと思えるのでしょうけど、それが一つもなし。
よくある典型的な白人警官によるアフロ系への人種差別事件。
そして白人だけの陪審が警官無罪の評決を下すという、アメリカ人にとっては、耳タコならぬ目にタコ状態のお話だと思います。
被害に遭われた人たちは、かわいそうなのですが、だから何。って感じでした。
一つだけ評価できる点を上げるとすると、このような歴史の積み重ねを経て、人種差別を取り除くための努力が1960年代に行われたこと。
そのお蔭で、私たち現代を生きる日本人がアメリカに旅行に行っても、もう激烈で明白な差別に悩まされることも少なくなったこと。
これは、差別され反発してきたアフリカ系アメリカ人たちの血の努力のお蔭であるわけです。
その点だけは、心に留めておいても良いと再確認できたという点ぐらいでしょうか。
しかし、その努力は、先人が行ってきたものであり、この映画のお蔭では、ありません。
この手の映画に悪い評価を付けると、あらぬレッテルを貼られ兼ねないのですが、どう考えても大甘で星3点が限度かな、という感じでした。
とてもリアルで、重たい作品です。警官の拷問シーンは緊迫感と恐怖で疲れ果てました。
このシーンは恐らく実際にあった話で、60年代とはいえ、ここまで酷い人種差別があったことは恐怖としか言いようがありません。
また、これも史実なので仕方ないのでしょうが、法廷での結果も最悪で後味がとても悪い映画となってしまいました。
「臭いものに蓋」はとても良くないことですが、出来れば映画としての鑑賞は避けたかった、そんなことまで考えた作品でした。
1960年代のデトロイトは暴動は日常茶飯事。黒人差別なんて当たり前の世界。当時はスマホなんかないから白人の証言のみが事実として認定されてしまうのでしょうね。