「母の残像」「テルマ」などで注目されるデンマークのヨアキム・トリアー監督が手がけ、2021年・第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で女優賞を受賞、2022年・第94回アカデミー賞では国際長編映画賞と脚本賞の2部門にノミネートされた異色の恋愛ドラマ。30歳という節目を迎えたユリヤ。これまでもいくつもの才能を無駄にしてきた彼女は、いまだ人生の方向性が定まらずにいた。年上の恋人アクセルはグラフィックノベル作家として成功し、最近しきりに身を固めたがっている。ある夜、招待されていないパーティに紛れ込んだユリヤは、そこで若く魅力的なアイヴィンに出会う。ほどなくしてアクセルと別れ、新しい恋愛に身をゆだねたユリヤは、そこに人生の新たな展望を見いだそうとするが……。トリアー監督の「オスロ、8月31日」などに出演してきたレナーテ・レインスベがユリヤ役を演じ、カンヌ映画祭で女優賞を受賞。
わたしは最悪。評論(9)
浮気は浮気、所詮現実逃避である。
経験がない私はそう考えている。
共感とかそういうのまではなかったけど
ずっと引き込まれたままだった。
主人公の女性が宣伝写真より全然綺麗で
なんであんな映りの良くない写真を使ったのかと
不思議に感じた。
主人公の女性が金髪、ピンク髪、茶髪
全て別人に見える
茶髪が1番可愛い
新しい物に目移りしちゃう主人公の話
コミック作家の彼がイケメンで、目移りしてしまう男性の方があんまりイケてないから、なんだかしっくりこない笑
パパもなんだか嫌
なにかとつけて、娘に会いに来ない。
今の家庭の方が大事なんでしょうね。
あの義理の妹とお揃いのアウター
アレはないよなぁ笑
これは浮気じゃないと線引きして楽しむ主人公、トイレ見せ合いは、ない笑
キモい。
元カレが膵臓がんで闘病して、お見舞いへ
行くのはわかるが、
ベッドに二人で寝るのは
ないでしょう、、、
海外の感覚とのズレかしら
期待しすぎたかなぁ
映画が長く感じた
まず脚本は「序章」「12章」「終章」から構成されています。
序章で、「医大は成績優秀者に相応しい進路だ」と考える主人公ユリヤ。でも想像と違うと、医大を辞め心理学へ。そして心理学もピンと来ないと写真家に、と自分探しをします。
そして、パーティーでマンガ家と出会います。
それ以降の各章にはタイトルが付いていて、分かりやすい構成になっています。
(途中、ユリヤが時間を止めるシーンが1回出てきますが、これは「ユリヤの空想」を表現したものです)
2022年の第75回カンヌ国際映画祭で是枝裕和監督作「ベイビー・ブローカー」で主演したソン・ガンホが男優賞を受賞しましたが、前年の第74回カンヌ国際映画祭でユリヤ役のレナーテ・レインスベが初主演で受賞しています。様々な顔を見せるユリヤを見ていれば、これは納得がいきます。
そして本作はノルウェー語なので、アカデミー賞では「国際長編映画賞」に該当し、まさに日本の「ドライブ・マイ・カー」と賞レースを競っていたのです。
本作の邦題「わたしは最悪。」について、2つの意味で考察が必要だと思います。
1つ目は、「邦題のセンスがないのでは?」ということ。
これについては、原題のノルウェー語では「Verdens verste menneske」となっていて直訳すると「世界一美しい男」という意味になります。
ただ、これは正直なところ分かりにくいと思います。
そこでアメリカで公開される際に「The Worst Person in the World」と視点を変えたものになり、邦題は、この英語を分かりやすく「わたしは最悪。」と訳しただけなのです。
2つ目は、「そもそもどういう意味なのか?」ということ。
これは、ユリヤが「ある段階」で頭に浮かぶセリフだと私は解釈しています。
その「ある段階」は、人によって異なるかもしれませんが。
ひょっとしたら1回目では作品の良さが伝わりきらないのかもしれません。そこで、もし機会があれば2回は見てみてほしいです。有名な賞を受賞したからと言って、誰にでも合う作品なんて無いのだと思います。
でも、この作品は、「別の機会に見て、良さが実感できたりする名作」なのだと私は考えています。
やや大人な映画なので「R15+」なのも納得ですが、大人になったからこそ分かる作品と言えます。