長男の死によって巻き起こる家族の混乱と再生を、ユーモアを交えてあたたかく描いたドラマ。鈴木家の長男・浩一が突然亡くなった。そのショックで記憶を失ってしまった母・悠子のため、父・幸男と長女・富美が嘘をつく。それはひきこもりだった浩一が部屋の扉を開き、家を離れ、世界に飛び出していったという、母の笑顔を守るためのやさしい嘘だった。監督、脚本は橋口亮輔、石井裕也、大森立嗣などの数多くの作品で助監督を務め、本作が劇場映画初監督作となる野尻克己。父・幸男役を岸部一徳、母・悠子役を原日出子、長男・浩一役を加瀬亮、長女・富美役を木竜麻生がそれぞれ演じるほか、岸本加世子や大森南朋らが脇を固める。2018年・第31回東京国際映画祭の日本映画スプラッシュ部門に出品され、同部門の作品賞を受賞した。
鈴木家の嘘評論(20)
回想シーンの見せ方もホラー映画のカメラワークで怖かった。視聴後、正直この監督の作品をすぐにまた観たいと思えなかった。しかし、デビュー作品でこれだけ難しいテーマを扱えるなんてすごいなぁと思った。
この映画は、『人にはみんな事情がある』と気づかせてくれます。
優しい嘘をつくことも、家族だからこそ強い言葉で相手を責めてしまうことも、みんなそれぞれに気持ちや事情があるから。
自殺が珍しくないこの国が嫌になることは多いけれど、『ああ、この不器用な優しさを私は知っている。』『この純粋で静かな思いやりを私は受けたことがある』と、日本人の優しい良いところを、この映画が思い出させてくれました。
妹を除く全登場人物が天然で少しボケてる。妹が兄をどう考えているのかも、なかなかハッキリしないので、ダラダラと母親に嘘をつく様子を見てるしかない。
いくつかの重要なシーンでドリフターズばりの遊びを入れる意味が分からない。。妹役の木竜麻生が熱演なだけに勿体無い。
引きこもりの息子が首吊自死。母親は首吊の縄を切ろうとして錯乱し、自分の手首を切って意識不明になってしまう。後に目覚めた母親は息子が自殺した記憶を無くしていた。残された父と娘は、息子が海外で今も生きていると嘘を付く、というのがあらすじ。
内容は、他のレビューにもあるように残された家族が立ち直り、これからの人生へ向かうまでの道筋が描かれている。
前半は重苦しいテーマなので、自殺した兄や倒れた母親を目撃した娘のトラウマや、「なぜ自殺したのか」と問い続ける父親の姿が描写が丁寧で心が痛む。
けど事態を動かすきっかけが、感情爆発・告白というのがありきたりで少しがっかりした。
保険金受け取りのイヴちゃんが誰なのか、住所や連絡先くらいは保険に記録されてると思うので、「イヴが誰なのか」というのが謎になっているのに困惑した。
とはいえ私にとっては内容が少し気持ち悪かった。「もういない人間」の人生を作り、他人の頭の中に望ましい架空の思い出を作る行為は、動機が何であろうと死者が何者であろうと、慰められた人にとっても死んだ本人にとっても褒められたものじゃない。
良くも悪くも死人に口なしという言葉が頭をよぎる。
シリアスがっつりコメディちょっぴりという配分は、あんまりこのしっとりした映画にあってなかった。
中途半端に感じてしまって、個人的に持った気持ち悪さを終盤まで捨てきれなかった。
自殺した息子の妹は、自殺したきっかけが自分にあるんじゃないかという罪悪感や怒りを兄に抱き、現場を発見した時の苦しみもあって、暴露したとも取れるのかもしれないが、死んだ人間を偽装することに悩んではいないだろう。
息子がいない席でハッピーバースデーを歌った母を見た時と、死んだ人間を生きているかのように偽装するのが重なり、始めたのは自分とはいえ馬鹿らしくなったのが、手紙の嘘を打ち明けた一番の理由だと思う。
みんなみんな「なぜ死んだのか」と自殺した息子の実像を拾おうとする。
結局最後まで息子の実体や何を思っていたのかという手がかりは得られない。そこが少なくとも死人への配慮なのかな。
死者を偲ぶというのは徹頭徹尾生きている人間のためのもので自己満足なんだと思った。
「私のせい」という自責を他人へ言うことは「あなたのせいじゃない」という救いを求めているように感じてしまう。
この映画は残された人の、もっと言うならこれからも生きていく人のための映画なので、間の悪い気分のときに見てしまったという気分。また違う時に見れば印象も違ってくると思う。
テーマが重いので、暗くなり過ぎないよう、ちょくちょく笑いを入れながらも、
軸がブレず、役者さん達も名演で素晴らしい映画だと思います。
同じ境遇の人が見たら、胸が締め付けられ涙止まらないのではないでしょうか・・・