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舞踏会の手帖 プロット フランス 01月01日 1900 上映
都会のアリス プロット ドイツ 11月19日 1988 上映
再会の時 プロット アメリカ 07月13日 1984 上映
愛の集会 プロット イタリア 05月22日 2004 上映
家族輪舞曲 プロット 日本 11月11日 1989 上映
序の舞 プロット 日本 01月14日 1984 上映
安城家の舞踏会評論(3)
吉村公三郎監督、新藤兼人脚本による1947年の作品。その年のキネマ旬報ベストテン第1位。
かつて日本にあった華族制度。
爵位を持ち、大邸宅に住み、贅の限りを尽くしていた。
戦後、華族制度は廃止。
それは新しい時代の到来だが、当の本人たちは戸惑いを隠せない。
さらに、贅沢品は没収され、邸宅も抵当に入れられる。
当主は知人に邸宅を売ろうとするが、恩を仇で返される。
長女は出世した元お抱え運転手から求婚されるが、受け入れるハズがない。
長男も関係を持った召使いから求婚されるが、冷たくあしらう。
華やかな舞踏会の裏で、哀れな愛憎が渦巻く。
もはやかつての栄華は無い。
生活も価値観も何もかもがひっくり返り、残ったのは、華族だったという見栄とプライドだけ。
自立心のある次女は新しい時代に向き合おうとするが、次女以外はかつての栄華を捨て去る事が出来ない。
だが、それらを捨て去る時が来た。
全てを失った絶望から、全てが真新しい時代を受け入れる時が…。
舞踏会の雰囲気も邸宅の装飾品もヨーロッパ映画のよう。
次女を演じる原節子も日本人離れした美しさ。(それでいて、小津安二郎作品ではこれ以上ない日本美人)
どこか日本離れした設定を、何の違和感も感じさせない格調高い日本映画として仕上げた二人の巨匠の手腕は賞賛に値する。
なかなか馴染みの無い華族やこの時代。
映画だからこそ、それらを見、知る事が出来る価値がある。
その年5月3日は新憲法の施行でした
新憲法は第9条の戦争放棄がまず思い浮かばれますが、第14条で法の下での平等、貴族の廃止が規定されています
ですから本作は華族廃止後わずか4ヶ月の実にタイムリーな時事ネタ映画だったわけです
伯爵邸宅はおそらく鎌倉の海岸べり
その邸宅内でのシーンはまるで洋画で見た世界です
内容もまたルキノ・ヴィスコンティの名作山猫を思わせます
舞踏会シーンがハイライトなのも同じです
しかし本作のほうが21年も先に撮られいます
ライオン奥様劇場で真珠夫人が登場してきそうです、殺人事件が起こって金田一耕助が頭を掻きながら登場しそうです
というか、それら日本の上流階級の邸宅内部のイメージは本作が源流になっているのではないでしょうか
原節子、森雅之と大物俳優が出演します
原節子は伯爵家令嬢役がピッタリはまっています
全力で走ったりダンスをするシーンは他の映画では観たことの無いものです
森雅之も女を騙して食い物にする役を演じると天下一品です
しかしご安心下さい
原節子とは兄妹の設定なので、彼女は無事です、森雅之の毒牙にはかかりません
もっとも結構綺麗な女優さんが演じる女性二人を彼が騙して食い物にして二人から首を絞められたり殴られたりしますのはお約束です
物語は華族も残しても良かったのでは思えるセンチメンタルなトーンで進行しますが、新日本の建設の出発でありこれで良いのだという結論に導かれて終わります
原節子役の姉は戦後羽振りの良くなった元運転手をそのプライドから拒絶しています
元運転手も実質的な革命に少し生意気な態度で登場します
酒を暴飲して放言して邸宅を飛び出す彼は43万石のお殿様であった伯爵家伝来の甲冑を蹴倒して出て行きます
平民が華族を打ち倒した実質的な革命であったことを示すシーンでした
しかし、彼は次第に金では尊敬を得られない、結局華族には心の内では見下されることは変わらないと知ります
長女も華族のプライドよりも真の愛情の尊さを知ります
彼の羽振りがよいもの非合法な闇取引のものでなく汗みず懸命に働いて築いたものと知ります
それも自分を迎えたい一心で
こうして二人は人間としての心情を裸で見せたとき、一組の男女になっていくのだというシーンとなります
伯爵も日陰の存在であった妾の女性を正式に結婚を宣言してみせます
長男も騙して別れた筈の小間使いの女性を抱き寄せます
原節子が演じる次女も、御屋敷の家令や小間使い達も伯爵家の華やかな日々を懐かしみながらそれぞれの身を振る為の準備をみせます
それは新しい日本を、旧華族と平民が力を合わせて建設していくのだという希望を象徴しています
新しい日本の未来は伯爵邸のすぐ前に打ち寄せる太平洋の様に前途は洋々と開けているのです
次女が伯爵の挙動に不審を抱いて彼を探すシーンでのカメラワークなど演出も優れており、気高いテーマといい優れた傑作だと思います