ピクニックatハンギングロック劇情

ハンギングロックで三人の女性が消えた!
67年にジョーン・リンジーが発表した同名小説の映画化。製作はハルとジムのマッケルロイ双子兄弟。エグゼキュティヴ・プロデューサーはパトリシア・ロヴェル。監督は「刑事ジョン・ブック/目撃者」のピーター・ウェアー。脚本はクリフ・グリーン。撮影はラッセル・ボイド(77年度英アカデミー撮影賞を受賞)。音楽はブルース・スミートンが担当し、ザンフィルのパン・フルートがフューチャーされている。出演はレイチェル・ロバーツ、ドミニク・ガード、アン・ランバートなど。

ピクニックatハンギングロック演員

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ピクニックatハンギングロック評論(4)

Oixskpsnghm
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岩山へピクニックへ出かけた名門女学園の生徒たち。そこで、数人の女生徒が忽然と姿を消す…。
1900年にオーストラリアで実際に起きた事件を映画化した、1975年のオーストラリア映画。

事件の真相を巡って、様々な諸説が挙げられている。
神隠し説、殺人説、事故説、生け贄説、果てはUFO連れ去り説まで。
事件は迷宮入りとなっている為、真実は分からないが、映画は“神隠し説”にスポットを当てたような作風になっている。

それを象徴しているのが、甘美な映像。幻想的な雰囲気を醸し出している。
また、純真無垢な女生徒たちと彼女たちを取り巻く人間模様が何処か不条理なドラマを作り上げている。

少女。
“女の子”とも“女性”とも違う、あどけなさを残しつつも繊細で多感な時期。
少女でいられるのは、女の子が大人の女性へと変わるほんの一時。それこそ神隠しの如く一瞬で消えてしまう。
儚いその存在が、謎の失踪事件を、神秘的にすら感じさせてしまう。

映画は謎に迫る本格ミステリーではない為、それを期待すると肩透かしを食らうかもしれないが、不思議な世界観と語り口には魅了される。

名匠ピーター・ウィアーの出世作。
失踪する少女の一人、レイチェル・ロバーツがハッとするほど綺麗。
Gminphsskox
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30年ぶりに観た。1900年という時代のオーストラリア、という背景の中で、イギリス文明と開拓半ばのオーストラリアの野性、失踪で永遠の若さを維持する少女と壊れていく学校と老校長、神隠しという幻想と事故という現実等様々な対比が巧妙に盛り込まれている。壊れる時計、食べ物に群がるアリ等の隠喩も観た後で思い出してみると想像が膨らむ。
初めて観た時は実話に基づく映画とされていたが、現段階ではどうやら全くのフィクションということのよう。確かにクレジットにもフィクションだと書かれている。
Agr-wohgdrrkinwo
Agr-wohgdrrkinwo
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少女―――、この不可思議で美しいもの。長い人生のうちで子供から女になるほんの一瞬の間だけに現れる特殊な生物。それは神が作り上げた奇蹟。
19世紀末、オーストラリアの寄宿女学校で本当に起きた失踪事件。岩山にピクニックに出かけた生徒の内の数人と女教師が忽然と姿を消し、現在も謎が解明されていない。本作を最初に見たとき、私は真相が知りたくて躍起になった。しかし再見してみて、この謎は永遠に謎のままにしておきたいと思い直した。本作で重要なのは事件の真相はなく、少女という特異な生き物の神話性なのだから。
冒頭から画面はヴィクトリア時代の優雅さに満ちうっとりとさせられる。何気ない少女たちの朝の風景。クスクス笑い、ささやき声、レースにフリルにリボン。ベッドサイドや机の上は、カードやコサージュ、鏡や櫛、本物のアンティークの小物が散乱している。花びらを浮かべた洗面器で顔を洗い、並んでコルセットの紐を締めあう。優雅だが抑圧されたこの時代で少女達は少女達の間にだけ通じ合う感受性を育ててゆく。同姓の美しい同級生や先輩に憧れるのはこの年代の特徴。本作でも、1人の少女が美しい少女に愛の詩を捧げる。
少女というのはいったいいつの間に、本人も気づかないうちに“女”としての感性を身に付けるのか。あどけない表情の中や丸みを帯びてきた肉体に、内面から滲み出る未完成なエロティシズム。それは人間には手を出すことの出来ない肉欲ではない精神的なエロス。「ボッティッチェリの天使」と例えられる美少女ミランダの神々しい色香に、人間の青年は遠くから垣間見る快楽を許されるだけ。彼女と数人の少女たちは、まさしく岩山に住む神の御手に連れ去れたのだろう。大人の女となってその美が失われる前に・・・。
少女達が行方不明になるまでの前半はこのように夢のように過ぎてゆく。しかし事件が発覚した後半は、否応ながら現実の世界へ引き戻される。平和だった小さな町で起こったこの大きな事件は、瞬く間に噂の対象となり、残された人々を不安と混沌の渦中へ引きずり込むのだ。ひとつの事件が起こると、被害者や加害者だけでなく、周囲の人たちの生活へも大きな影響を与える。事件前の平穏な生活にはもう2度と戻れないのだ。人々の心には様々な猜疑心が生まれ、一人だけ発見された少女に対して哀れむ心さえ奪ってゆく(発見してくれた青年との間に芽生えかけた恋すらも)。少女は生徒達全員に敵意をいだかれ、学校を後にする。そして厳格な教育を目指していた校長も、酒におぼれ、最後は悲しく死んでゆく。厳格すぎて時として意地悪になるこの校長を、私はとても哀れだと思う。美しく生まれなかった女性の悲劇。華やかな人生を送れない代わりに、自分や他人に厳しくすることを信念として来た彼女の人生は、たったひとつの事件によって脆くも崩れ去ったのだ。信頼していた教師を失い、生徒達も次々と辞めていく。生徒たちに人気のある、美しくて優しい教師に対するねたみやひけめに気づく。学費が未納になっている生徒に退学処分を言い渡した結果(学校を経営する上ではやむをえない措置にもかかわらず)、その生徒は自殺してしまう。今回の事件で一番の被害者は、失踪した当事者ではなく、この校長だったと思う。失踪した少女達はきっと、美しい世界で神々に愛されているのだから・・・。
Nsecusirereos
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ハンギング・ロックは険しい岩山だ。

この映画を初めて見た時は、ストーリーが謎を呼ぶ割に、理由も結局は不明で、ざわめきばかりが残り、いわゆる安堵感とか安心感といったものを一切感じなかった。ちょっと、突き放されたような感覚だった。

そして、イマジネーション力が問われている感じもした。

しかし、それからかなり経って、深夜の映画番組でこの作品が放送された時、解説の岡部まりさんが「少年が大人になる一瞬をテーマにした作品は比較的あるように思うが、この映画は少女が大人になる時の揺らぎを表現した数少ない作品ではないか」と話しているのを聞いてハッとしたことを覚えている。
岡部まりさんは、ずいぶん昔「探偵ナイトスクープ」で秘書をやっていた方だ。

この原作は、映画のカルト的な人気が高まるとともに実際にあった事件をベースにしたものだとの噂が広がった。
しかし、原作者のジョーン・リンジーが、実は自分の見た夢が元ネタだったと、ずいぶん後になってから明かす。

また、この映画は「ジョンブック/目撃者」で一躍有名になったピーター・ウィアーの初期監督作品として、海外公開から10年以上経ってからシネヴィヴァンという六本木のミニシアターで公開された。
いまの六本木ヒルズのある場所の六本木通り沿いのWAVEというビルの地下にあったシアターだ。

そして、「ジョンブック/目撃者」がヒットしなければ日本公開はなかったとされている。

僕が最初にこの映画に惹かれたのは、村上春樹作品が好きだったことが影響している思う。

村上春樹作品では、よくヒトやモノ、場合によってはゾウまでもが、当然、消失するのだ。

だが、そこには、村上春樹作品の静かに喪失感が進行する様とか、それに向き合おうとする姿勢はなく、代わりに何かがざわつく、居心地の悪い感じがあった。

(以下少々ネタバレ少しあり)

あったのは、

ボッティチェリのヴィーナス似の美少女ミランダを含む4人の失踪と、
僅かだが複数の目撃、
捜索に出たマイクルが意識不明で発見されたこと、
アルバートによるアーマの発見、
1週間を経て発見されたアーマの記憶喪失、
フラストレーションを募らせるアップルヤード校長、
孤児セーラへの虐待、
セーラの自殺、
そして、学校コミュニティのヒステリック化と崩壊だった。

その後、アップルヤード校長もハンギング・ロックで遺体となって発見される。

この作品は、事件の原因も理由も、結局は何も語らない。

サスペンス好きの方でも結末を重視する人にはお勧めできないストーリーかもしれない。

だが、だからこそ、カルト的人気が高まったのかもしれない。

舞台となった1900年頃のオーストラリアは、不況の直後で、白人支配を目指す政府が主に中国人を排斥する白豪主義をベースにした差別を制度化し、内政はイギリスから自治を獲得するが、外交はイギリスの管理下に置かれるという不安定な時代にあった。

だが、こうした時代背景がヒントなのだろうか。

僕は、原作が1960年代に書かれたことが実は重要なのではないかと今は思っている。

アメリカの1960年代は、公民権運動に加えて、女性解放運動が盛んになった時代だ。

きっと、アメリカ女性が社会進出したり自立を模索する様の詳細は、同じ英語圏のオーストラリアにもきっと伝わっていたに違いないのだ。性も男性に従属するのではないとの考え方もあっただろう。

そして、その頃、ジョーン・リンジーは、不安定な時代のオーストラリアに舞台を設定して、少女達と、それを取り巻く社会、少女が大人の女性に変化するひとときの揺らぎや、性への目覚め、ざわめきを暗示する物語を描こうとしたのではないか。

白い衣服はヴァージンを意味しているに違いない。

あっという間に「それを」乗り越えて、皆のそばから遠くに行ってしまう………つまり、大人びてしまうものもいる。

美しいミランダが最初に消えてしまうのにも、常に男たちの好奇の目の中にあるといった示唆的なものを感じる。

「それを」考えることで罪悪感に苛まれるものもいる。

貞操感が第一のものもいる。

厳格な宗教の教えの下では当たり前かもしれない。

経験しても今まで通り、普通にしていられるものもいる。

消えるスカートやコルセットは何を示唆しているのか。

因習や、価値観を縛り付ける何かだろうか。

学校という空間では、影響は瞬く間に広がる。

ヒステリックなまで管理を徹底しようとする社会や大人達。

消えたことに向き合おうとするより、現状の維持を優先したりする。

こうした目覚めは、いつか皆が通る道で、今である必要はないのだと考えているからだろうか。

傍観しているように見える男子。

そして、亡くなった校長も古い因習を表しているのではないか。

ハンギング・ロックは険しい岩山だ。

そして、「ピクニック」と「ハンギング・ロック」という組み合わのタイトルにも意味があったのではないかと考えさせられる。

簡単そうに思えて、実は容易に登ることは出来ない。

ピクニックのような気分ではいられないのだ。

そして、ハンギング・ロックは、性のメタファーではないのか。

興味を持っても、ざわついても、決して容易なテーマではないのだ。

そうであれば、明らかな解決策などあろうはずがない。

僕達は、この作品を通じて、少女の揺らぎやざわめきを隠されたテーマとして見せられたのではないのだろうか。

(※ 余談だが、昔、薬師丸ひろ子さんが「メインテーマ」という南佳孝さん作詞作曲の歌を歌っていたことがあったが、当の南佳孝さんが同じ曲を「スタンダード」という別のタイトルでカバーしていたことを思い出した。若い子にはメイン・テーマでも、大人にはスタンダードなのだそうだ。)

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