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虹のかけら プロット 日本 05月03日 上映
野獣の抱擁 プロット イギリス 11月16日 1968 上映
抱擁(2002) プロット アメリカ 03月01日 2003 上映
ウィズダム 夢のかけら プロット アメリカ 06月11日 1988 上映
太陽のかけら プロット メキシコ 04月04日 2009 上映
甘い抱擁 プロット アメリカ 01月01日 1900 上映
抱擁のかけら評論(14)
それでも魅入ってしまうのは、現在、まずペネロペ以外考えられない役どころ。そして、映画が好きでないとできない構成だ。
ひとつは、いまドラクエ6をやっているからではないのだろうが、過去と現在が並行して描かれているというより、次元の違う上と下の二重構造に見えて、これが斬新。映画のなかに映画を存在させ、さらにその撮影風景を追い回すハンディ・カムの映像を被らせたからだろう。
また、ずたずたにされた劇中映画を、一本の作品として蘇らせる作業中のマテオの台詞、「映画は完成させることに意義がある」は、愛しいレナが生きた証を残すとともに、映画人としての職人気質を感じる。
そして、その完成した作品を見せない。この先どうなるんだろうという、いいところで切ってしまう。きっと邦画だったら欲張って結末を見せちゃうんだろうな。見せてしまったらマテオの台詞がボケてしまう。
読心術を使う女性の受け答えがロボット的で可笑しかった。
p.s. ペネロペ・・・魅力はあるんだけど、いつまでこんな役をやっているんだろう。なんか型にはまってしまってもったいない。同じ痴情のもつれなら、「それでも恋するバルセロナ」の方がよかったなってなっちゃう。
①盲しいた監督が完成させなければならないのは、14年前に愛しあいそして先に死んでいった恋人を主演に撮った映画。今は眼が見えなくても全てのカットが頭に入っているのだろう。何とも悲しくて美しいラスト。②しかしアルモドバルば本当に脚本が上手い。先が読めない展開ながら最後はあるべきところに収まるこの感じだ。③ペネロペ・クルスの美しさを初めてわかったように思う。特に秘書の時のタイトなスーツ姿はたまりません。彼女が扮するヒロインは本当に愛するもの(父、マテオ)を守ろうとした時にいつも代償を払わされる。その彼女を永遠に生かせる為に、そして彼女とマテオとになされた復讐を意味なきものにするために映画は完成されなければならないのだ。④アルモドバルの映画でいつも楽しみなのは今回はどの映画が出てくるだろうということ。マテオは「死刑台のエレベーター」のジャンヌ・モローの声を聞きたいと言う。一人の男を愛し抜いた女を演じたジャンヌ・モローの声を…
劇中で製作されていた
マテオの映画の続きが
メチャメチャ気になるんですけど(苦笑)
◇ ◇
劇場配布チラシから既に
赤色だらけなのですが、
映画の衣装含め、登場人物の
熱き情熱を含め、真っ赤って感じでした。
SEXシーンなんて
ペネロペ・クルス、
美しさは封印して、
獣のようですからね。
変な表現ですが、迫力満点でした。
ペネロペ・クルスの相手役、映画監督なんです。
だから劇中でも映画を作ります。その作品の編集されたものが
終盤に映されるのですが「えっ?」というような表情を残して
エンドロールが流れ始めてしまうんです。監督の遊び心なのでしょうが、
今作だけでなく、そちらの作品の結末も気になります。是非、HPで公開を!!
◇ ◇
愛
男の嫉妬
女の嫉妬
人間の再生
話の軸は、こんな感じです。
現在と過去を行き来しながら
作品は進められていきますが、難解ではありません。
ただ、それは見た目の話であって
もし、登場人物たちの腹の中を映し出せたとしたら
グチャグチャのドロドロで、難解極まりなかったでしょう。
見えるところだけでなく
見えないところを如何に
見るか、見つけだしていくか
そこに、なにを感じとるのか
月並みな表現ですが
“これぞ、大人の映画”の呼称がピッタリでしょう。
☆彡 ☆彡
お目当てのペネロペ・クルス。
作中セリフまま、美しすぎ(驚)
オードリー・ヘップバーンを意識した
ファンには堪らないサービスカットも用意されています。
サスペンスも盛り込まれた
重厚な人間ドラマを、ぜひ御堪能下さい(笑顔)
ペネロペ・クルス 美しい
いきなりナンパしている盲目のエロ爺!?と思っていると、
この爺がどんなやつかが徐々に明かされていくのがこの映画の主題でした。
14年前の映画製作現場と現在とを巧みに行き来して物語が進んでいきます。
ものすごく複雑ということはありませんが
昨日、劇場で観た「マザーウォーター」の何もないストーリーとは対極(笑)
「恋するバルセロナ」とこれ、
スペイン映画2つとも、なんとも、おじさんには理解できない「情熱的な恋(濃い)」
が必須アイテムなのでしょうか???
内容は;
1、かつて映画監督だったが失明し現在は脚本家で生計を立てている男のもとに一人の若者が訪れる。
2、若者が去った後に男は助手に頼んで14年前の写真が入った引き出しを見てくれと頼む。
3、そこには若者が写った写真と、そしてもう一枚、美しい女性の写真があった。
日常生活に当たり前のようにある人間の悪意とほんの出来心が、アルモドバルの他の作品と同様、本作のドラマを力強く動かしていきます。本作での悪意とは嫉妬や独占欲。そして出来心もまた嫉妬であり、罪悪感から生じるものです。
人が生きていくうえで自然と蓄積されていくそれらの心の悪は、たぶん私たちの大半は知ってて知らないふりをしながら日々を生きている。アルモドバル監督の作品と向き合うというのは、その悪との対峙をするための契約をお金を払ってみることだと思います。
そしてそんな嫌な思いをする作品なのに、トリアー監督同様、このアルモドバルの作品もお金を払って観る価値があります。
若者のころは心も体も成長し世界が無限のように感じられる。しかし、青年期が過ぎると人生の時の流れは次第に鈍くなり、そしていずれ止まってしまう時が来ることをひしひしと無意識で感じるようになる。
アルモドバル監督の描く「邪悪」なものとは、そのような大人たちが抱える人生の倦怠感を憂さ晴らしして、ちょっとでも若返る夢を見たいと願うことから生まれる。そして、その邪悪さが人の理性が油断した瞬間に出来心としてそそのかしドラマを動かしていきます。
本作を見にきたお客さんの7~8割は女性。そして、どうしてここまで悪意のある人間たちを描いているのに女性は引きつけられるのか、という所にもこの監督さんの作品を「それでも」と観る価値があるのかが分かりました。
ちなみにエンディングは他のレビューアーの方がおっしゃっているように美しいです。この美しさで人生はなにも邪悪なものだけではないと思い、救われました。