タリバン支配下にある90年代アフガニスタンの首都カブールを舞台に、悲惨な現実の中でも希望を持って生きていた夫婦を襲う悲劇と自由を求める女性たちの姿を、水彩画のような美しい映像でつづった長編アニメーション。1998年、タリバンが支配するアフガニスタンの首都カブール。人々は厳格なイスラム法の下で暮らし、世間では理不尽な私的制裁も多く見られるようになっていた。女性は全身を覆うチャドリ(ブルカ)を着用しなければ外出も許されず、自由を好むズナイラは、自宅で密かに音楽を聴きながら壁に絵を描き、夫モフセンの帰りを待つ日々を送っていた。一方、拘置所の看守アティクは、病気がちな妻ムサラトを看病しながら、長く続く戦争と貧しさに耐え忍んでいる。そんなある日、ズナイラが慣れないチャドリをまとって外出したことで、2組の夫婦の運命が狂い始めて……。2019年・第72回カンヌ国際映画祭ある視点部門出品。
カブールのツバメ評論(2)
タチの悪いは言い過ぎかもしれないけど、この映画の製作には日本では見られない少し変わった方法を取り入れている。監督の一人、ザブー・ブライトマンが言うには、作画を製作する前に音声を録音するという日本のアテレコなんてそっちのけのアニメ製作がされている。失礼、これは後に出てくる事と誤解を呼ぶかもしれない。
監督の彼女は女優でもあり演劇畑を歩いてきた方でアニメーションに携わるのが今回の『カブールのツバメ』が初めてで、そのためにエレア・ゴべ=メベレックが手伝う形の共同作業で完成させている。
さらに、このアニメメーションには2つのプロセスがある。
まず、一つ目は、プロデューサーが版権を取得したときは、実写化を目指していたこと。
そして、もう一つは、フランスの製作者の考えでは、アニメーションは多様な表現力があり、それと同時に、視聴者が自分の想像力でアニメーションの表せない部分を補えると考え、メディアとしたら文学に非常に近いという点からアニメ化に踏み切ったとコメントしている。だから人が褒める、でも美的にあいまいなアニメーションとなっているのかと私感ながら...(エンタメサイト、Variety参考)
A miracle happened, Atiq. I saw tears fall from your eyes. And
I thought, if what I saw is true, then all is not lost. 映画もラスト近くで妻ムサラトの死んでいく者として無口な夫の心を垣間見た瞬間に普段は余計なことを言わない彼女の真実の言葉として...
ブライトマン監督の意見では、最近のアニメーション映画は、キャラの動きが大げさなものが定番で不自然に感じたことから、この映画では、アニマティックから始めている。つまり会話を録音するのではなく、最初にリズムを考え出し俳優と一緒になって脚本全体を実写撮影をしたと語っていた。
このやり方は、『ロード・オブ・ザ・リング 指輪物語』で使われたロトスコープ技術の一つとされている。ちなみに天下の宮崎駿は経費と時間のかかり過ぎでスタッフを過酷な労働条件下に置くと批判的な立場をとっていた。
アメリカの大統領がアフガニスタンから撤退を表明してから行動を起こしたのは、そんなに月日が経っていないけど、大統領の言い訳は「アフガン国軍自身が戦おうともしない戦いで、アメリカ人が死んだり戦ったりすることはできないし、するべきでもない。」と...
つまり、いつものアメリカ流の他人事の詭弁と受け止めてしまう?
一般の視聴者からのこの映画に対しての賛辞や感動したというコメントを多く見ると、右にならえのように皆さん口を揃えて感動しているのには違和感だけが残る天邪鬼な者にとっては、そんなにか~ぁ?と思ってしまうのが正直なところ。
確かに見る分には、何も見たい映画がなければ、別に反対はしないけど、ただ日本の環境なら同情しかないし、それより人の窮状をお題目に良いことをしているというスノビズムをひけらかす他国のことを平然とアニメにできる地方から嫌われるパリっ子気質にはついていけない。核実験やインドシナでやってきたことを棚に上げて...
本作の原作は、アルジェリア出身のヤスミナ・カドラの小説で、2組の夫婦の悲劇を描く。女性刑務所の看守に務める男の妻は病気で死にかけている。もう1組の若い夫婦は、自由を求めて外出するも屈辱的な扱いを受け、夫婦の口論の末に夫は事故死。妻は夫殺しの嫌疑で死刑となる。原作にはない、タリバン政権以前の様子も挿入される。女性たちが楽しそうに集う華やかな映画館が、一瞬にして崩れ落ちた建物に変わる。過去と現在をシームレスにつなげて、タリバン政権の蛮行を指し示す。水彩画で描かれた柔らかなタッチがかえって現実の過酷さを際立たせる傑作。