僕らはみんな生きている
プロット
日本
03月13日 1993 上映
生きていてよかった
プロット
日本
07月06日 1956 上映
砂漠は生きている
プロット
アメリカ
01月14日 1955 上映
生きたい
プロット
日本
01月15日 1999 上映
生きていた野良犬
プロット
日本
03月26日 1961 上映
僕らはみーんな生きている
プロット
日本
12月16日 2022 上映
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彼らは生きていた評論(20)
現代の日本では平和ボケしてるくらいだが、しかし、二度とこんな戦争が起きないように、しっかりと歴史を経験しておくことが大切なのかも。
少し前に東大の学生が第二次大戦の白黒写真をカラー着色した、という新聞記事があったが、白黒がカラーになるだけで現実との地続きであることをはっきりと意識させてくれる。
博物館の資料を修復したり、読唇術で会話を再現したり、並々ならぬ執念がある。
話している人たちも実際の戦争経験者で、「誰」ということを特定させず多くの中の一人という感覚で終始徹底している。
監督はギャラもほとんど受け取っていないそうだが、そこまでして撮りたかったものとは、本当に「彼らは生きていた」ということを知ってほしいということだろうか。
リアルな塹壕、戦場、死体、束の間の息抜き。全て想像でしか見たことないものが現実だった。仕方ないことだが、戦闘場面のイラストには少し面食らってしまったが。
フィクションではよくあるが、戦場を経験した人とそうでない人にはあれほど感覚に差が出るものか。
「戦争は無意味だ」
2020-101
とはいアフレコされた音声が作品としての方向性を決定づけているわけではなく、本当に第一大戦に従軍した元兵士たちの膨大な証言がベースになっていて、その点では間違いなくオーラル・ヒストリー・ドキュメンタリーになっている。
非常に印象に残っているのが、国家的高揚と戦場の現実との対比と、前線の状況を受け入れるしかない兵士たちの無常観にも似た境地。映像技術が成し遂げたことも凄いが、やはり、生の証言を積み重ねることで(もちろん演出意図によって再構成されているが)生まれる重みにこそ、本作の真価が宿っている気がしている。そしてひとつひとつの証言の意味が、見方を変えることで百通りに違ってくる非常に多層的な作品である。
兵士が志願してから過酷な戦地に行き地獄を見てから帰るまで、残されていた映像と肉声が生々しい。
嬉々として流行に乗るように我先にと志願する若者。年齢をごまかして入隊した15歳や17歳の少年は軍服もタバコも似合っていない。あどけない笑顔でカッコつけてカメラ目線を送る。
荒野の前線基地は映画『1917 命をかけた伝令』と重なる。
ドイツ兵捕虜と打ち解けて笑い合う場面が目に焼き付いた。「この戦争には何の意味もないと意見が一致した」と。殺し合い人なんてきっと誰もいないんだ。それなのに、と無念な気持ちで観る。
武器を置いて穏やかに数日過ごせば争いは止められる。きっと平和はくる。そう信じたい。
資料映像をストーリーを持ったドキュメンタリーにする素晴らしい仕事に嫉妬した。一時期映像を仕事にしていた身として、私もこんな仕事がしてみたい。地道で根気のいる大事な仕事に憧れるが、私の精神力は持つだろうか。