「ラストタンゴ・イン・パリ」「ラストエンペラー」で世界的に知られるベルナルド・ベルトルッチ監督が1970年に手がけた作品で、アルベルト・モラビアの「孤独な青年」を原作に、過去の罪に捕われファシストにならざるを得なかった男の悲哀を描いた。幼い頃、自分を犯そうとした男を射殺してしまったマルチェッロは、いまだに罪の意識が消えずにいた。ある日、彼に反ファシズムのクアドリ教授暗殺の命が下る。好奇の目にさらされながらも優雅に踊る女同士のダンスシーン、雪の降り積もった森での暗殺シーンなどベルトルッチと名匠ビットリオ・ストラーロのコンビが描く映像美も見どころ。日本では72年に劇場公開されており、ベルトルッチ作品の日本における初劇場公開作となった。2015年、デジタルリマスター版でリバイバル公開。
暗殺の森評論(16)
結局女の競演を描くのが上手いベルトリッチ。夕陽と暗闇を対照的に取り入れている。男の世界は雪がバックであることが多く、精神病院に入ってる父に会うときなどは白さを強調する。政治色が強い映画かと思ったけど、暗殺に対する罪の意識や、裏でうごめく女心の葛藤のようなものの方が強い。
結局、教授夫妻を殺すことになったが、マルチェロは黙って見ていただけ。数年後娘もできて三人でファシスト崩壊のラジオニュースを聞く。さらに13歳のときに誤って殺してしまったと思っていた男も・・・
ラストの狂気じみた行動、人生を嘆いているような振り向きざまの表情がいい。途中、眠くなるような展開がもったいないです。
さて彼にとってそれはファシストでなくてもよかったのだろう。ファシストないしファシズムは普通になるための一方法だったに過ぎず、その思想も行動もどうでも良いのである。しかも何も自分で処断できていない。ただ見ていただけと言うダメ人間っぷり。しかしながらこんなマルチェロのダメ人間さ、弱さーを責められないだろう。
衣装も最先端で現代との差も無くファッション雑誌の見本みたいな映像群。
だがぁ気軽に鑑賞出来る映画では無いし運良く映画館で観れたからこそなので家だったら落ちていたかも..zzz..しれない静かな作品だが全体的に緊張感が途切れないで進んで行く。
ストーリーどうこうより映像美を堪能してナンボなベルトルッチ体験でした。
桜井薬局セントラルホールにて鑑賞。
乳白色のブルーを基調にしたパリの撮り方が美しい。
セーヌ河畔のメトロの高架は数々の映画に登場するロケーションだが、この作品でもサスペンスに満ちたシーンとなっている。高架下の道路を走るたった一台の車。上を走るメトロからは人の気配を感じられない。規則正しく並ぶ鉄骨の橋脚が言い知れぬ緊張感を謎を深めている。
魅惑的なパリの景色は他にも登場する。
エッフェル塔(を臨むシャイヨー宮の広場)や(作品中ではホテルに改装されている)オルセー駅は20世紀初頭のパリを象徴する建築物である。これらの建物は鉄を使用しながらもその意匠は柔らかな曲線を描いていることが特徴的だ。
これに対して、ジャン・ルイ・トランティニャン演じる主人公が「就活」のために訪れる国家機関の建物は直線だけで構成される空間を持っている。
自由な都市であるパリと、ファシズムの政権を立てたローマという二つの都市を建築を通して対比している。
ところで建築と言えばベルトルッチの作品を何本か観て気になることがある。登場人物の権力関係を階段で表すことが多い。
誰でもがすぐに思い浮かべることができるだろう、「ラストエンペラー」で幼い溥儀が紫禁城の階段を小さな歩幅で駆け上がるシーン。幼年の皇帝が、なんの迷いもなく、無自覚に権力の高みへ登っていく。
「シャンドライの恋」は階段の昇り降りが、一組の男女の愛と権力の関係を形作っている物語である。
この作品でも、主人公が彼の希望通りに秘密警察になるときには上の階に案内されて、階段を昇っていく。
また、初めて訪れたパリの恩師のアパートで、ドミニク・サンダがステファニア・サンドレッリを階段の上から見おろすことでこの二人の力関係が決まってしまう。
しかし、この作品でもっとも語られるべきは、外光が一方向から射す部屋で、昔の師弟が自意識について語るところではないだろうか。
恩師曰く、人は「光を当てられた自分の影を自分自身だと思っている。」のだと。人間は自分自身の全体の姿を見ることができない。鏡に映る姿や影は自分自身という実体ではない。そのことを分かっていながら、自分が何者であるかを知りたいと思うところが人間の弱さであり、だからこそ人は「影を作り出すための光を求めるのだ。」と。
この会話の最後に別の角度からの光が当たり、壁に映っていた主人公の影が消える。ファシズム政権が崩壊するラストを待つまでもなく、主人公の影であるセルフイメージが消失しているのだ。
さて、映画のラストはサンタンジェロ城、コロッセオといったローマの古い建物が出てくる。近代的な自我が現れるよりも前に建てられたその建築を舞台に、ファシズムに酔っていた者たちの自意識が溶解していくのである。
ジャン・ルイ・トランティニャンの変容ぶりが素晴らしい。前半のファシズムと自らを同化することになんの疑問も持たない、無垢な冷たい表情は、後半、その任務に苦悩し、やがてファシズムとともに崩壊していく。
ベルトリッチの最高傑作と言われているようだが、ストーリーに関して、正直、良さがわからなかった。