デンマークで「あるじ」を作ったカール・テオドール・ドレイエル氏がフランスで製作した映画で、知名の文学者ジョゼフ・デルティル氏の協力を得てドレイエル氏自らシナリオを執筆、そして監督したものである。主役ジャンヌを演ずるのは舞台の名女優ルネ・ファルコネッティ嬢であるが、それを助けてコメディ・フランセーズ座のE・シルヴィエン氏がコォションに扮して出演するほか、「征服されし人々」「ヴェルダン
歴史の幻想」のモーリス・シュッツ氏、「ヴェルダン
歴史の幻想」のアントナン・アルトー氏、等が出演している。キャメラはルドルフ・マテ氏が主となってそれに当たった。よって本映画は欧米、特に欧州諸国に於いては希有の芸術映画として絶賛を博したものである。日本初公開版は火事によりオリジナルネガが消失したためドレイエル自身が再編集したバージョン。オリジナル版は長らく幻のフィルムとなっていたが、1984年にポジフィルムが発見された。1929年度キネマ旬報ベスト・テン第7位。(無声)
裁かるゝジャンヌ評論(2)
ジャンヌ・ダルクには英雄的で勇ましい女騎士の聖女というイメージを持っていたが、本作のジャンヌ・ダルクは凄く人間らしい。審問官の激しい尋問責めに苦悶の表情を浮かべ、泣き崩れ、挙げ句の果てには悶絶する。そして涙が枯れるほどに泣きじゃくる。19歳の乙女らしい普通の反応を見せる。しかしこの英雄的ではなく人間的な乙女が、汚職審問官ら卑劣漢達を相手に真摯に向き合う姿を見ると、やはり只者ではなく並大抵の信念の持ち主ではないことが分かる。そこは普通の乙女とはハッキリと違う。本作を観て感じたことは、キリスト教的なことよりも、人間の、異なったものを抑えつけようとする同調圧力や排除しようとする暴力性の恐ろしさ。人間のこの愚行の犠牲者となったジャンヌ・ダルクには同情の念が湧いたのと同時に、排他的な圧力に屈さずに自分を貫くことの大切さを見た気がする。
日本にはもう権利はなく、フランスの版元から許可を得て、国立図書館から借り出しての上映
滅多にお目にかかれないものを観た
サイレント映画、少ない字幕
ジャンヌ・ダルクの勇姿を撮ったものではなく
その後の裁かれる場面のみ…そして火炙りの刑
観てる方も拷問にあっているようだった…