古き良き西部で、時代に取り残されていく人間のおかしさと哀れさの中に、西部男の執念に満ちた復讐譚を折り込んだ作品。製作総指揮に「ワイルドバンチ」のフィル・フェルドマン、同じく製作・監督サム・ペキンパーのコンビ、共同製作ウィリアム・ファラーラ、脚本ジョン・クロフォード、エドモンド・ペニー、撮影も「ワイルドバンチ」のルシエン・バラード、音楽ジェリー・ゴールドスミス、美術リロイ・コールマン、編集フランク・サンティロ。出演は「トラ・トラ・トラ!」のジェイソン・ロバーズ、「追いつめて殺せ」のステラ・スティーヴンス、「フィクサー」のデイヴィッド・ワーナー、「ワイルドバンチ」のストロザー・マーティン、L・Q・ジョーンズ、スリム・ピケンズなど。1991年2月よりのリバイバル時に邦題を「ケーブル・ホーグのバラード~砂漠の流れ者~」に改題し公開。
砂漠の流れ者評論(4)
ストーリー: 60
キャスト: 65
演出: 65
ビジュアル: 65
音楽: 65
開拓時代の西部はまだ規律もないし社会も何もかも未発達。そのなかで特別な能力があるわけでもないただの流れ者が生きていくのは大変なことである。どこにでもいそうな男の砂漠の中での葛藤と復讐とを滑稽に描く。実際のところいかにも西部劇という絵になる決闘ばかりがたくさんあったわけではないだろうし、このような男の半生も西部の一部だろう。
最後のほうの復讐の部分は正直たいしたことがなかった。また最後は唐突で都合が良いように感じた。そのあたりはやや減点要因。
砂漠で水脈を掘り当てた後、神父に任せて街に出かけっきりになっていて、誰かに奪われるのではないかとハラハラした。その後戻ってからも、悪者が来たら簡単に奪われそうで、当時の保証のない社会の恐ろしさを感じた。そんな保証や契約など意味があるのかないのか分からないのだが、その反面、風通しは思い切りよくて、すがすがしくもある。いろいろ詰めがあまいぞ、と見ていて思ったのだがそんな甘さがいいのかもしれない。
最後、主人公が瀕死の重傷を負ってそのまま死んでしまうのだが、あんまり苦しそうでなくてよかった。実際はのたうち回るほど苦しんだ挙句に死ぬのではないだろうか。
90年代にリバイバル上映で見てもっと感動した記憶があったのだが、期待しすぎのせいかそこまでではなかった。
舞台は駅馬車が走る西部劇の世界だが、終盤には自動車が登場する時代
つまり西部劇の世界は終わりつつある
だからケーブルホーグ は初老に近い中年男なのだ
本作はどのように西部劇の世界が死んで行ったのかがテーマだ
彼は風采のあがらない、文字も読み書き出来ない、粗野そのもの、かといって腕っぷしがさほど強い訳でもなく、英雄的でもないケチな男だ
しかし、何もない砂漠の荒れ地から身を起こすのだ
つまり、そうやって西部を開拓していった名もない多くの西部の男を象徴する存在なのだ
インチキ牧師と売春婦は文明社会が西部の辺境に浸透していった様を示す
サム・ベキンパー監督は最後に主人公を近代文明の象徴たる自動車にホーグを轢かせて、このように西部劇の世界は死んでいったのだと映像で示す
押し留めようとしながらも、結局止められず轢かれてしまうのだ
インチキ牧師の葬式の言葉こそ監督の愛する西部劇に贈る監督の弔事、鎮魂歌なのだ
「文明の発展」という時代の流れに取り残された男の哀愁が、前作「ワイルドバンチ」のハードでバイオレンスなタッチとは打って変わって、暖かくユーモラスなタッチで描かれている。前作とは真逆のタッチだが中味に通じるものは多く、今作でもやはり時代に取り残された男の生き様が描かれている。ここがとてもペキンパー監督らしい。そのペキンパー監督が描き続けてきた時代に取り残された男の集大成的な作品だと思った。
ラストが衝撃的。これまでもペキンパー監督は、時代の流れや時代の移り変わりによって居場所を追い詰められていく者達の姿を沢山描写してきたが、「文明の発展」という時代の流れに、ここまで直接的に葬り去られる描写は初めて。無駄な部分を削ぎ落した究極にストレートな表現で、これぞ西部劇への鎮魂歌の集大成だと思った。
挿入歌のバタフライモーニングが頭から離れない。「ダンディー少佐」といいペキンパー作品は挿入歌のインパクトも半端じゃないな笑