「オープン・シティ」(一九四五)のロベルト・ロッセリーニが、これについて監督した一九四六年度作品で、イタリイ映画批評家、技術家団体による一九四七年度の最高作品賞、監督賞、作曲賞を獲得し、一九四六年度のヴェニス国際映画祭では最高賞、一九四七年度のブラッセル国際映画祭では特別賞、一九四八年度のニウ・ヨオク映画批評家団体による最優秀外国映画賞、ナショナル・ボード・オブ・レヴュウによる同年度最高作品賞を与えられた。製作に際してはO・F・I及びF・F・Pが共力に当った。脚色は「オープン・シティ」「靴みがき」のセルジオ・アミディ、アメリカ新進作家アルフレッド・ヘイス、「オープン・シティ」のフェデリコ・フェリーニ、マルセロ・パリエロ及びロッセリーニが各エピソオドを担任し、ドイツ語の科白はクラウス・マンが受け持った。撮影は「オープン・シティ」のオテロ・マルテリリ、助監督はE・ハンディミイルとA・リメンターニ、作曲はロッセリーニの弟に当る「オープン・シティ」のレンツォ・ロッセリーニである。出演俳優は「オープン・シティ」のマリア・ミキ以下四名の職業俳優を除き、イタリイ各地の市民のほか、米、英、独の将兵で構成されている。 映画は六つの挿話よりなり、米英軍がイタリイ本土上陸に先だつ一九四三年七月十日より一九四四年の冬、イタリイがドイツ支配下より解放されるまでの間に起った実際の出来事を扱っている。
戦火のかなた評論(2)
結果的に舞台もシチリア島から北イタリアのポー川に移って行く
どれも本当にあったかもしれないレベルのエピソードを若きフェリーニが手際のよい脚本に仕立てて、それぞれ味わいのある物語を展開する
それも終戦後数ヶ月の混乱の中で
演じる素人の人も、撮る側の人間もみなつい最近までの、個々の自身にも身に覚えのある記憶がそのまま生々しいままでフィルムに焼き付けられているのを感じる
監督と製作陣、素人役者達のそれを映画に残すのだとの情熱が感じられる
戦中、戦後すぐのハリウッドのお気楽な作品とは天と地の差だ
イングリットバーグマンも映画人の情熱を求めてしまったのだろうと、彼女がロッセリーニ監督の下に走り不倫にまで至った、その行動に納得ができる作品だった
デ・シーカ、ヴィスコンティ、ロッセリーニの名作が10作品で1800円強とはお買い得。
ロッセリーニの作品観賞は「無防備都市」のみだったがようやく「戦火のかなた」を観ること出来た。
6つのエピソードがあるが、戦争という混乱の中でネガティブな想像しか出来なくなる人間性の荒廃を想起させる第一話と、ヴィヴィアン・リーの「哀愁」を思い出させるような悲惨なエピソードの第三話が印象に残る。
この第三話ではイタリアを解放してくれた米軍の一兵士を親切に対応した優しい娘が半年後には生活のために体を売らなくてはならないという繰り返される戦争の悲劇が切ない。もし兵士が再会した娘が娼婦の立場に落ちていなかったら彼は半年前の娘と気が付いただろうと想像すると心が痛むばかりだった。
ただ作品全体の評価としてはドキュメンタリータッチでの表現の狙いの結果ではあったのだろうが時系列で進む各エピソード間に戦争の悲惨さの観点以外の繋がり性が無く、映画全体での盛り上がりには欠ける印象だった。
時系列よりも何らかのエピソードの関連性の中で繋いでいった方が私としてはより感情移入出来たような気がする。
しかし戦後75年となって次の大戦を防ぐためにも映画人の皆様方には絶えることなくこの手の作品製作を期待したいものである。