友だちの大切なノートを間違えて持ち帰ってしまった少年が、ノートを返すため友だちの家を探し歩く姿を生き生きと活写し、アッバス・キアロスタミ監督の名を世界に知らしめたイラン映画。イラン北部にあるコケール村の小学校。モハマッドは宿題をノートではなく紙に書いてきたため先生からきつく叱られ、「今度同じことをしたら退学だ」と告げられる。しかし隣の席に座る親友アハマッドが、間違ってモハマッドのノートを自宅に持ち帰ってしまう。ノートがないとモハマッドが退学になると焦ったアハマッドは、ノートを返すため、遠い隣村に住む彼の家を探し回るが、なかなか見つけることができず……。特集企画「そしてキアロスタミはつづく」(2021年10月16日~、東京・ユーロスペースほか)にてデジタルリマスター版を上映。
友だちのうちはどこ?評論(19)
小学校の小さな教室。三人掛けの机に2年生のアハマッドとネマツァデが並んで座っていた。ネマツァデは宿題をよく忘れる上に、今回はノートではなく紙切れに宿題を書いてきたので先生にこっぴどく叱られる。「3回目だな!次に忘れてきたり、ノートに書いて来なかったら退学だ!」と脅され、隣にいたアハマッドまでビビッてしまった。そんな恐怖の宿題だったのに、彼はネマツァデのノートまで間違えて持って帰ってしまった。何とかしてノートを彼に届けなければ退学になってしまう!
しかし、のんびりスローライフのイランの片田舎。家の手伝い、畑の仕事、おつかいまでしなければならないけど、宿題が先。焦るアハマッドはとにかく友だちにノートを届けなければと先を急ごうとする。何とか手伝いを避けて家を探そうとするが、遠い地域なだけに全くわからない。地域だけはわかっているので大人たちに尋ねまわるのだが、要領を得ない。おじいさんたちにつかまり、与太話を聞かされたり、間違った情報を聞かされたり、町内はネマツァデ姓だらけだったりと散々な結果に・・・親切なおじいさんは歩くのが遅く、結局は先ほど行った間違いの家だったりするのだ。ここでおじいさんに気を遣ってノートを隠すのが絶妙!
夜遅く、まだ夕飯の時間には間に合いそうだったけど、諦めて自宅に帰ったアハマッド。要は明日学校でノートを渡せばいいのだから、彼の分も宿題してあげなよ!と、ずるいやり方だけど、祈る気持ちでいっぱいになった。だってそれしか方法はないんだもん(笑)。結末はあっさり、祈り通りだったけど、とにかく走れメロスの少年版のような展開は素人が演じてるとは思えないほどの演技力。目だけで訴える少年の純粋さはとても感動的。やっぱり泣きの演技は素人にしかできないリアルさが感じられた。
小津安二郎が好きだというキアロスタミ監督。思い出したのは戦前作品『生まれてはみたけれど』の子役中心の映画でした。
イランの山村を奔走するという極めてシンプルなストーリーだけど
アハマッドの不安気な優しい表情に釘付け。
自分の都合の良い話しかせずアハマッドの気持ちは無視の大人たち。
風の音や犬の鳴き声に怯え灯りの少ない通り道は
自分の小さな頃を思い出す。
ラスト、友だちに力強く語るアハマッドと押し花でホロリとさせられます。
家に帰り宿題をやろうとしたところ、ノートが二冊、間違えて友だちのノートを持ってきてしまったのだ。
これは大変、となり村の友だちに返しに行くのだが、友だちの家を知らないので大変、日が暮れてきて・・・。
子供の懸命さが胸に迫る。
飾り気がないのに妙に美しい映像と、ペルシャ的響きを帯びた音楽が自分の心を完全に惹きつけたのだが、脚本と演出に巧みに隠されたユーモアがたまらない。ただ、大人は判ってくれない、といて諦めるにではなく、その障害をも巧みに利用しながら逞しく生き生きと生きている生々しさに、ただただ感服するばかりであった。
ラストも最高🌸