QUEEN ROCK MONTREAL
プロット
アメリカ
02月22日 上映
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プロット
アメリカ
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日本
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プロット
インド
03月01日 上映
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地獄の黙示録 ファイナル・カット評論(20)
映像は撮影時のオリジナル・ネガフィルムを初めて使用、 音声は劇場公開版のプリントマスターを使用したことで、 コッポラが長年望んでいた没入感や臨場感を実現。
迫力あるサウンドも体感できる。
以上公式サイトより。
IMAX スクリーンフルサイズでは無かった
上下に黒みが入っている
想像以上のスクリーンの大きさだったので逆に良かったかもしれない
音の迫力の方がすごかった
映像で行くと影 がくっきりという印象
初っ端からやっぱり狂ってる
戦争の狂気
反戦映画に見える
タイトルは最後に出てくる
地獄の恐怖
水牛さんが山刀でぶつ切りにされるのも狙って撮ったわけちゃうってホンマか
キルゴア中佐がロバートデュバルっていうのも なかなか判りにくいが
クリーンがローレンスフィッシュバーンって言われても 未だに繋がらない
欺瞞
このバージョンはラストの 爆撃シーン がない
いろんな狂った人が出てきます。ボートに同乗した若い兵隊達も結構イッテると思ったが
・カーボーイハットでサーフィン命の「将軍」
・主人公のウィラード「少尉」
・ラスボスのカーツ「大佐」
これら偉い人たちの狂い様はその比じゃなかったな。
「人を殺すということ」 「いつでも殺されかねないこと」
この極限の状況下では確かに狂わないとやっていけないのであろうことがよく分かる。
「DolbyCinema」で観る。
後半はすっかり慣れてしまったが、前半のヘリの編隊飛行のところはさすがの迫力。度肝を抜かれた。
「プラトーン」「ランボー」などベトナム戦争の悲惨さを描いた後発作品を多々知っているだけに、正直なところ目新しさはなかった。 でも、これらの映画の土台となったのがこの「地獄の黙示録」なんだよな。リアルタイムで観た人はさぞ衝撃であっただろうと思う。
(リアルタイムで観たかった。当時7歳だったけど。。)
しかし、この作品から直感的に感じるのは、敵を爆撃する"カタルシス"と未知の世界に放り込まれた"恐怖"…そして、"恍惚"です。
ラストへ向けてだんだんと混沌としていく様は、"危険な匂い"がぷんぷんしますね(笑)
名作です。
*梅田ブルク7"ドルビーシネマ"にて鑑賞…これ以上はないというほどの音響とスクリーンで観られて良かったです。もしこれで料金が安く観られるのなら、この映画館にはもっと通いたいんですが、6ポイント鑑賞とか、そういうサービスがほとんど無くて、つい他の劇場へと足を運びがちです(笑)
*大きなスクリーンで楽しみたい作品です。
「ワルキューレの騎行」を響き渡らせながらのヘリコプターの編隊の有名なシーンは、映画館の大スクリーンと大音響で鑑賞すると凄い迫力だ。空挺部隊のキルゴア大佐の狂気がヘリコプターのローターによる熱気のうねりとともに画面に広がる。アメリカ軍のずっと向こうにいるジョン・F・ケネディの狂気が透けて見えるようだ。ケネディの最期となったダラスのパレードにも「ワルキューレの騎行」が似合う。
ウィラード大尉を演じたマーティン・シーンは終始無表情の演技で、凄腕の殺し屋のリアルな素顔を上手に表現した。この男が他人の死に眉ひとつ動かさず、感情を一切顔に出さない冷酷無比な暗殺者であることはすぐに分かる。そしてその動機は冒頭でうまく説明される。つまり戦場という極限状況に慣れすぎて、平凡な日常生活では生きている実感が沸かなくなってしまったのだ。同時期に公開された映画「ディア・ハンター」でロシアンルーレットを繰り返す男たちにそっくりである。
20年に及んだベトナム戦争は、終盤になるとカオスの様相を呈してきた。南北のベトナムそれぞれに東西の陣営が応援に付き、冷戦の代理戦争の意味合いも加わって、正義の定義や概念さえ疑わしくなってくる。そして無意味に犠牲者を出し続ける戦争に対する嫌悪が世界に広まり、アメリカ本国では反戦の声が大きくなる。こうなると戦争の英雄はもはや誕生することがない。そしてサーフィンをするために島を焼き尽くすような意味不明の作戦が実行される。
残念ながら「ヨハネ黙示録」にあるような七という数字に関するメタファーのようなものは作品の中では発見できなかったが、戦争が地獄であり、その目撃者は地獄を黙示された者であるという意味合いは受け取れる気がした。本作品自体がカオスのような作品なので、観客はいつまでもこの作品を消化することができない。
「ヨハネ黙示録」の最終章には次の言葉がある。
見よ、私はすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれの仕業に応じて報いよう。私はアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門を通って都に入るために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。犬ども、まじないをする者、姦淫を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。
まさにこの言葉を映像化したようなシーンが多く登場する作品であり、ダンテの「神曲」や源信の「往生要集」を彷彿させる。イデオロギーやヒューマニズムよりも人間の根源的な不幸を壮大なスケールで象徴的に描き出す、傑作であると信じたい作品だ。
今回IMAXで観て、若い頃にはよくわからなかった映画の中身が少しわかった。映画は題名通り、ベトナム戦争を舞台に地獄を描いているんだってことがわかった。
イントロ:戦地ではあれほど帰りたいと思っていたのに、故郷に帰っても辛いことばかり。逆に故郷では戦地に行きたいとばかり考えてしまう地獄。
前半:戦地で繰り広げられる狂気の世界。サーフィンするために村をナパームで焼き尽くす中佐。戦地に似つかわぬ、けばけばしいプレイガール達による慰問。プランテーション農業を維持し、正装での夕食にこだわり続けているフランス兵達とその家族。上官なき最前線での戦い。次々と現れる不可思議なシーン。中でも強烈なのは、一般人の船を検閲しているうちに、ふとした弾みから乗船していた一般人全てを乱射した後で、かすかに息をしている女性を見つけ、彼女を必死に助けようとするシーン。乱射に対してはなんら悪びれることはなく、殺そうとしたその相手の命を必死でつなぎとめようとする、通常からみたらイカレた欺瞞に満ちた行動。それを誰も違和感を感じずに行わうという地獄。戦争の前線がいかに人間を押しつぶしているかを表す。
後半:なんのために戦うのか。本国と前線の思惑がかけ離れた中でも、自分が信じるものを信じて進んでいたら、ジャングルの王となていたカーツ。優れた兵士による部隊を構成できたにもかかわらず、何のために自分はこれを作り上げたのか、本人でもわからなくなていただろう。マーティンシーン演じるウィラードの視点に立つことで、カーツの足取りを知り、その行動に少なからず共感?を感じながら観ているこちらにも、やはりわからない。わからないのに王を続けなければならない地獄。
アポカリプス・ナウ、いま現在の黙示録、タイトルそのままの映画だ。
今回は3度目の編集による、監督として完全とした版。20代で自分が観たのは、最初の147分版だ。2002年の特別完全版203分は観ていないけれど、今回の182分版も十分長いぞ。かつ、前半最高、後半がっかりという評価もチラホラあるのがわかる気もする。制作裏話的に、カーツ大佐役のマーロンブランドが監督の意向に反し太ったまま現れたとか、原作も読んでないとか、金を受け取ったままキャンセルしようとするとか、台風でセットが丸々破壊されたとか、デニスホッパー(カメラマン役)がシャブ中だとか、特に後半に関してはたいへん同情の余地ありという状況で完成させたとことをネットで知りました。ならばしょうがないかなと思いますが、たしかに前半のキレキレ感に比較すると、後半のもっさり感が際立っちゃいます。これはこれで思わせぶりな感じだけれど。やはりカーツ大佐が、不可思議な感じは出せたが、人間的魅力までいかなかったことが後半の残念さの原因でしょうか。
後半もうまくいってたら、ほんとにすごい映画になってたんだろうな。いまでもかなりすごい映画と思うけれど。
この映画でワルキューレを知ったのは自分だけだろうか?
IMAX は初めてでしたが、迫力がありますね〜。TNET と007 の予告観ただけで、もうお腹いっぱい、へとへとでした。映像もさることながら、ウリは音響ですね。